お坊さんが語る終活

後悔しない人生を、笑顔の毎日を本当の終活で。

直葬ですか?

最近、ご葬儀の広告で「直葬」という文字が存在感を増しているような気がしております。

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さまざまな御家庭のご事情があるなか、必要性があるのかも知れません。

 

私たち人の一生を考えるとき、「生と死」これはいずれの人も必ず通る道筋ですよね。

存在している私は現在よりも過去に「生」をうけた。

そして存在している私は現在よりも未来に「死」を迎える。どちらもが100%の事柄でありますね。

 

肉体における生命の維持活動の継続が、生きていること。そしてそのスタートが産まれること、その継続が停止することが死ぬことです。

 

皆さんは子供さんやお孫さんが生まれたとき、きっと喜びを感じ、近くのお宮へお初参りされたり、また満1歳には初誕生でお食い初めをしたり、また七五三のお祝い、また地域によっては虚空蔵菩薩様の智恵にあやかって十三詣りをされるところもあります。

私たちはさまざまなことで神さまや仏様、宗教の違いはあっても、「目に見えない大きな存在」に対して向き合いつつ、人生の通過儀礼を行なっております。

そして最後の儀礼が「葬儀」でしょうね。

 

「始めと終わり」物事には全てあるものと思います。

人生最後の儀礼である葬儀。何も華美にしなくてはならないことは全く無いと思います。しかし、ちょっと視点を変えてみて下さい。

産まれるとき、自分の力で何か出来たでしょうか?

お母さんのお腹で十月十日、栄養をいただき、一般的には最も苦しい痛みを享受してもらって産み出されたのが私たちですよね。

みんなしてもらっています。

 

この世に生み出してもらい、育ててもらい、その恩恵は返し切れないものと私は思っています。

なれば、最後の儀礼。自分を生み育てて下さった方に対してせめて、可能な限り、その方の人生を敬い、慈しみに感謝し、惜別の時間を設けること、このくらいは何とかすべきだと思うのです。

華美になる必要はありません。でもその方の通られた人生を讃えてあげるわずかな時間はもってあげていただきたいと思います。

 

また、送ってもらう立場の私たちもその時間を持ちたいと思われる日々の生き方に、心を砕かねばならないと思います。

 

直葬という言葉がポピュラーにならないことを願います。

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌