さくら
公立学校の合格発表の季節
あちこちで、悲喜交々かとおもいます。
さくらが咲くのか、さくらが散るのか、思春期の彼らには大きな出来事でしょうね。
人は常に「求め」を持って生きています。
「求め」が無くなるとき、この命も無くなることと思います。
しかし、「求め」に対して常に満たされる訳では無いのも、事実ではないでしょうか。
求めたものが手に入ると人は満足します。反対に手に入らないと、怒ったり、悲しんだりします。
でも、もう少し思いを巡らせてみて下さい。
どの結果であろうとも、私達の人生の「時間」の一部ではないですか?
ならば、どちらの結果も私達にとって、取り替えることのできない「経験」なのであります。
さくらが咲いたら、咲いた時間を頂いた。
さくらが散ったら、散った時間を頂いた。
あとは頂いた時間をどう自分に活かすか、ではないですか。
今日という、取り替えることのできない時間を、お互い大切に通らせていただきたいものですね。
ご覧下さり、ありがとうございました。合掌