御朱印の転売に思う
令和の幕開けにより、全国の社寺に御朱印を求める人が列をなしたそうです。
あれから二週間、それらがネット上で転売されているとのことです。
第1の感情として、「わかってないね」
第2の感情として、「社寺の怠慢」の2つを感じました。
民間の方が、ブームとして御朱印を求める。おそらく「スタンプラリー」感覚なんだと思います。
社寺の方も、社寺離れにブレーキをかけるきっかけとして、また、一筆なにがしがの奉納がありますから、悪くはない話と思いましょう。
縁が繋がること、大切なことであります。
しかし肝心なところが抜け落ちている。それは御朱印、納経とは本来何なのかということです。
これは神様や仏様に参拝した証として、授けていただくものであります。
ところが昨今は「記念品」的な感覚なんでしょう。
「そんな御朱印を転売するなんて!」という人はまだましですが、実際に売る人、買う人が存在しているということが問題であり、でもその根源は社寺側がその意味するところを説いていない、伝えていないことにそもそもの問題がありましょう。
宗教者が宗教屋になってはなりません。きちんと神様、仏様に向き合える人づくりをすることこそ、本来の役割と思います。
社会現象が投じてくれる令和の一石として、良き波紋が広がることを願います。
時間といのち
人はいつも過ちを繰り返すいきものだと思います。
しかし、それを過ちと気づいた時から、二度としないようにしようと、思いをめぐらすことができるのも人だと思います。
過ちとはその行為により、他者に迷惑をかけたり、損害を与えたりすることではないでしょうか。
皆さんは他者に迷惑をかけたことありませんか?
高熱が出て会社を休んで。これってきっと他者に迷惑をかけていますよね。そんな時どう言います?
「すみません」「申し訳ありません」ですよね。
すみませんとは、済まないことです。
申し訳ないとは正しい理由がないということになります。
過ちとは済まないこと、正しい理由がないことをすることです。
済まないのですから、未決なんです。残ってるんですね。正しい理由がないんですから、間違ってるんです。
間違っていることが残っている状態なんですね。
じゃどうします?
どこが間違っているのかをまずは検証しなくてはなりません。その間違っているところを直す事しか、過ちの始末はできないのであります。
さあ検証出来ますか?しようと思えば出来ます。でも邪魔するものがあります。それが時間です。
いえ、「時間がある」という頼りない概念です。
よく終活で、生前の取り組みとして不用品の整理をされようと考える人がいます。ですがほとんどの場合うまくいかない、進まないんです。この理由こそ、「時間がある」との錯覚なのであります。
私たちが今持っているというか、費やしている時間はなんでしょうか?簡単です、「自分のいのち」であります。いのちの時間を知る人は誰もいない、なのに時間があると錯覚しているのです。
過ちと気づいたならば、すぐにそれを正すことに意識を持たねば、本当に済まずに終わってしまいます。
過ちは誰にでもあります。でもその過ちに気づいたにもかかわらず、それを直す努力をしないことこそ、本当の過ちであると思います。
小さなことでも気づいたことは直していきましょうね。
如是我聞
仏教や宗教では「因果」を説きます。
「因果」を説かずして人倫を語る事は、器無しにして食を享くが如くであると思います。
因果とはすごく簡単な事です。
この秋にはカボチャが食べたいな。
じゃ、カボチャの種を蒔こう。
花が咲いたから受粉をしてやろう。大きいのがいいから少し摘花しよう。
大きくなった、収穫しよう。
以上が因果であります。簡単でしょ。
〇〇したから✖️✖️になった。です。
さて物事は必ず何かに起因して、結果を生じます。全て後から結果が付いてきます。
人生の結果は皆さんはどこに置かれますか?
定年を迎えて退職したとき。
夫婦どちらかが他界をしたとき。
子供が片付いたとき。
死するとき。
いずれも正解でしょうね。でもやはり最後ではないでしょうか。そうですよね。
ではこうなりますね、明日死んだら今日が結果ということに。で、いつも申し上げますが、いつ死ぬかわからないのが我々。
さあえらいことですね。
ところで、まあ100歩譲ってこの肉体を基準としてみたら、死ぬとき、となります。しかし実は魂は永遠に不滅ですから、もしかすると死んでのちして結果が出てくることもある、ということになるのであります。
そこで如是我聞です。
私も見たことないですが、次の生には住み心地の良い世界とそうでない世界があるそうです。
皆さんはどちらがお好みですかね。きっと住み心地いい方ですよね。
それでですね、私が聞いたことによりますと、毎日の生活に感謝多くして、不足少ない生活をしておくと、住み心地いい方へ行けるとのことです。
見たことも、行ったこともありませんよ。でもあるそうです。あるかもしれません。あるらしいです。
ここが肝心かなめです。
如何なる結果をもたらしますか?「如是我聞」
遺骨の扱い方が…
先日大阪の信者さんのご葬儀に出向させていただきました。
75歳を一期とされ、愛するご家族に囲まれて生涯を終えられたそうです。
その方は建築のお仕事を自営でなさっておられました。近年いわゆる認知症を患い、奥様はじめご家族も一時ご苦労様されたそうです。しかしながら、この二ヶ月ほど前、熱発発症から入院をされ、穏やかな最期の準備を授けていただいたような毎日だったそうです。
私も若い頃、その方たちと一緒に工務に携わらせていただき、と言ってもきっと足手まといだったかと思いますが、優しく教えていただいたものでした。
今振り返っても笑顔のイメージしかような方でありました。
ご葬儀もご家族は「家族葬」の規模をイメージしておられましたが、席がなく立ってお参りされる方が出るほど、生前の功績計り知れないものでありました。
ご出棺ののち斎場へお供させていただきました。この度は四條畷市にあります、飯盛斎場で荼毘にふされたのですが、待合室にいくつかのパンフレットがありました。
お墓、樹木葬、合葬墓、手元供養、そして面白いのが供養付き遺骨預かりなる商品もありました。
面白いとは不謹慎かも知れませんが、医療付き介護施設とか、そんな言葉と何か似通っていたので、文化形成の上で語彙は作られていくのだと感じたからです。
いずれにしても、どうも主体がシフトしている。何に?他人任せに。
現代社会の諸問題の根底にある「個人主義」いよいよ墓の下まで。
これから先の日本、これでいいはず無いと思いますがね。
國が無くなる。
超大型の連休も終わり、今日から仕事が始まる方も多いと思います。
今回の連休は、先の天皇陛下のご譲位と、それに伴う新帝陛下の御即位を中心とした連休でありました。様々な過ごし方があったかと思いますが、身辺に大事なく過ごせた方は、まずは感謝の思いを持つべきでしょう。
さて、新たな令和を迎えて新しい歩みがスタートしたのではありますが、紙面には引き続き大問題が掲載されておりました。
国内の子供の数が減少。全体の12.1%。
ずーっと下がりっぱなしです。
このままですとこの日本は無くなります。
「まだまだ先の先の話」です。そうですよ。
でも先のことを予見して、対策を練って、それを講じることが、当たり前のことではないでしょうか。
終活の取り組みの中で、最後にくるものが亡骸の処理です。(表現が露骨ですがわかりやすくするため)
亡骸の処理をする人がいなくなるということです。
どうして日本人はここまで利己主義、個人主義になってしまったのでしょう。
真面目に「私」には何が出来るか、ということを考える人を増やしていかないと、先はありません。
74年前までの多くの人々が何を描いていたのか、思いを馳せましょう。
原爆殉難の御霊へ名水を捧げませんか。
昨日、第33回広島原爆殉難者慰霊法要の諸役任命書を交付させていただきました。
毎年7月、広島平和公園の原爆供養塔前で慰霊法要をつとめ、今年で33回目を数えます。
8月6日に近づくにつれて、各団体による慰霊行事がつとめられると思いますが、教団では現在の広島念法寺道場建立を期してより、毎年原爆殉難横死者の慰霊法要を続けて執行しております。
この第1回の慰霊法要当時、時の燈主様の指導により、全国各地の信徒さんから名水を取水いただき、それを法要の際御霊へお供えする形をとる旨指導がありました。
爾来、北は北海道稚内から、南は沖縄に至る全国の名水(現在は30ケ泉)を供えます。
供養台にいったん供えられた名水は、法要読経の折、僧分並びに在家の皆様の手により、供養塔へと運ばれ、静かにそしてゆっくりと、床に臥されたかたにのませるよう供養塚に注がれます。
原爆で亡くなられた方々はさぞ、水を欲しておられたことに思いを馳せ、慰霊の心を抱きながら名水を捧げさせていただくのであります。
私はこの慰霊法要の行事は、教内の信者さんだけで執行するのではなく、心ある方々の真心をあわせて勤めてゆきたいと願っております。
毎年、ご縁のある方に、一人また一人とその輪を広げておりますが、このたび初めてブログ、FBで呼びかけをさせて頂くことにいたしました。
日時は7月15日(月・海の日)午前9:00からです。お時間に都合がつき、名水を捧げて頂ける方、暑い時期ではありますが、当時の方のことを思えば、であります。
準備の都合上、6月15日をご応募の目途とさせていただきます。
詳しい内容、お問い合わせお申込みはこのブログ、FBまたは
広島念法寺 082-261-0126までお問い合わせください。
皆様の真心からなるご奉仕をお待ちしております。合掌
平成の終わりを迎えて
私は現在52歳、顧みれば今日までの人生のうち、5分の3が平成であったということであります。
生まれは昭和ですが、幼少期もありますので、いわゆる一般的にいう「自立」の期間はほぼ平成の時代を通らせていただいたことになります。
昨日でしたかテレビで、平成の記憶的なテーマがありましたが、その一位と二位が東日本大震災と、阪神淡路大震災でありました。その通りだと思います。
しかしそこで振り返った時、先帝陛下つまり上皇、上皇后両陛下が常に被災の民に寄り添われていた姿が目に浮かびます。
どれだけ被災地の方々の心に、力を与えてくださったことでしょうか。
広島にも5年前には土砂災害が、そして昨年には西日本豪雨による災害が発生しましたが、いずれも行幸啓くださったのであります。
振り返るに私の今日までの人生のうち5分の2は昭和天皇陛下が、そして5分の3は上皇陛下の祈りの中で時を重ねてきていたことに、今更気づいている次第です。
神武天皇様以来126代、国民を愛する皇統の中、今日という日を生かされている喜びを、もっともっと感じ、感謝の思いをいたさねば勿体ないことではないかと思う次第です。
昨日よりは今上陛下の祈りの中、時を重ねている自分に気づかせて頂き、日の本に生まれたことを嬉しく思います。