お坊さんが語る終活

後悔しない人生を、笑顔の毎日を本当の終活で。

生者必滅

先日来、葬送が続いております。

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去る2日、大切な信徒さんがご逝去され、滅多に葬儀は執行しないのですが、故人のたっての願いから、昨日、今日とご葬儀を勤めさせていただきました。

昨夜、通夜式を終えて帰りますと、実家の母から、父の妹で父の最後の兄妹が逝去された旨、報が届きました。

 

俗にお葬式は続く、と言われますが特に根拠は見当たりません。しかしこの度は現時点で、私に関わりある方が4人旅立たれたのは事実であります。

本当に人の命の終わるタイミングは判らない。

 

愛別離苦、愛する者との別れは苦である。

これも避くべくもないことではありますが、だからこそ、今日一日、いや、今この一瞬を、真心こめて接していかなければならないと思います。

生者必滅。この理、立ち止まってそれぞれ想いを巡らせることが良いと思います。

またご遷化。

平成30年6月26日22:10、また1人大切な人が極楽へと還られました。

古根川良教師、行年85歳でありました。

師とわたしはなんとも言えない変なご縁があり、唯一「父」的な存在でありました。

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去る5月には「最後の御奉公」と、サイパンでの慰霊祭に出仕。その際、この秋に予定されていたカナダへの渡航についても、言及しておられました。

月はじめ頃から若干の体調不良を訴えておられたようですが、まさかこんなに早くとは、誰しも思っていなかったかと思います。

 

3日前、同職で医師の先生から、師の状況を聞き、家内とともに28日にお見舞いに来る予定が、形を変えて来ることになったのであります。

今朝、家族4人で和歌山県新宮市へ来させてもらいました。

 

師との対面をしますと、顔は薄紅色、肌に艶があり、全く睡眠中という感じです。

冗談で一緒に写メを撮りたいくらいでありました。

 

「もう一日待ってくれたら、先生一日早い!」と涙ながらに訴えましたが、返事はありませんでした。

息子や娘の前で、初めて見せた大泣きだったかも知れません。

でもそのくらい、わたしにとっては大切な人でありました。

 

師のご恩に報いるため、よく考えて、しっかり実行したいと思います。

「孝行したいときに親は無し」

平素から対話、大切になさって下さい。

ご遷化

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去る6月17日18:30、稲山霊芳三代燈主様が世寿94歳をもって、本国の浄土へと還帰されました。

 開祖様の指示により、医学博士の道を歩む中、現世の光明化のため生涯を人救いに捧げられ、我々の先頭に立って、世に光りを放たれた三代燈主様のお隠れは、遺弟となった私たちにとって、比するものなき悲しさと寂しさでありました。

 

 17日夜、連絡を受け広島から新幹線で大阪の総本山へ向かい、到着後すぐにご面会をさせていただき、永年のご労苦に感謝を申し上げました。

 18日、教内のお別れ。19日、通夜式。20日、密葬儀を済ませて頂きました。

 

 葬送には沢山の信徒はもとより、東久邇信彦、吉子両殿下をはじめ、比叡山延暦寺の小堀光実執行様、叡南覚範毘沙門堂門跡門主様などの仏教界諸大徳。大本の出口紅教主様、また大阪府神社庁長老.大阪天満宮名誉宮司の寺井種伯様そして、三井住友銀行頭取のご名代として、常務執行役員の河原田岩夫様、内閣総理大臣補佐官衛藤晟一参議院議員もお越し下さいました。

 

 密葬を終え、親族、遺弟らが最後のお別れを済ませ、輿に乗せられたお棺が、ゆっくりと祈願本堂から正面玄関に向けて進む中、廊下ところ狭しと参列の信徒が合掌し、ご真言を唱える声が連呼しておりました。

 三日間の葬送を終え、翌日、教内のもので第四代燈主の就任式である、伝燈相承式が行われ、ここに桶屋良祐第四代燈主様が名実共に、立たれたのであります。

 

 開祖様が歩まれた衆生済度の灯火を、二代、三代、そして四代と継承し、その遺志を後世へつなげることは、大きな組織としての終活の大成であります。

立場の違いはあれど、一生を終えるその時、人は周りの人に大きな影響を与える。

日々にいかに閉じるか、それを考える時間は、あるようでないのではないでしょうか。合掌

北の守り

10日に行われた稚内での行事のため、8日から北海道入りをしていました。

行事後、86歳の母が暮らす千歳の実家に泊まり、本日広島への帰路につく。

 

稚内では昭和52年、当時92歳の開祖様が宗谷岬に立たれ、第二清浜に石碑を建立され、それ以来毎年現地で北の守りを祈念する行事を催行しており、今年は快晴の下現地での行事ができました。

毎年出向させていただく御縁をいただいておりますが、今年ははるかに樺太を見ることができ、利尻富士も綺麗に見えたのでありました。

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午後からは、工藤 広稚内市長も御臨席される中、参議院議員山谷えり子先生の講演を拝聴いたしました。

国をまもるとは、国民を守るとは、大変為になるお話をお聞きしました。

 

旧ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄し、土足で上がり込んで来た事実を、どれ程の日本人が知っているでしょう。

 

ふるさと北海道、緑豊かなこの土地が、後世においても悲しいことが起こらないよう祈りつつ、広島への帰路に着きます。

納骨堂もいつか壊れる⁈

お釈迦様は私たちが避けて通れないものとして、「四苦」をおときになられています。

四苦とは生、老、病、死ですが、この生滅の法則はあらゆるものに例える事ができると思います。

何か物体が作られた、人々は大事に長く使おう、と思い大切に手入れをしながら使われると思います。

しかし、大切に手入れをしながら使っていても、いつかは劣化して、原型をとどめることができず、壊れてしまいます。

当たり前のことで、誰しもが知っていることかと思います。しかし知っていることと、気づいていることとは違うんですね。

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昨日から仕事で稚内へ来ております。

新聞の広告に、大きな納骨堂ビルの写真があり、使用料などの案内が載っていました。

札幌の中心部に地上7階建てくらいでしょうか、総数400基の納骨壇が売り出されているようです。タイプは様々ですが、一体あたりに換算して20万円から25万円の価格です。

地下鉄の駅から徒歩5分、雨も雪も関係なくお参りできる納骨ビルのようです。

 

都会は土地が希少ですから、車をとめる駐車場も、平面から立体になっております。それと発想は同じかと思います。

しかしふと、思ってしまいました。

 

「このビル、壊れないのかな?」

 

いえ、いつか必ず壊れます。

その時、どうするのかな?

マンションを買うまたは借りるときには、宅建業法に従った契約を結び、買主、借主の財産を守るための条文が明記されます。それらはメンテナンスも含めて表記されますが、このビルはどんな感じなんでしょう。

 

また、いつも心配するのですが、この納骨ビルの運営母体が一般に言う倒産に至ったら、どうなるんだろう。

どこかのペット霊園がある日突然、無くなっていたことがありました。

 

お骨を扱う文化の変化は、時の流れの中である意味仕方ないかも知れませんが、「この先どうなるのか」をよくよく考えて、選択すべきかと思います。

 

大切な人が最後に残す形。どうすべきがベターか、一考されてはどうでしょうか。

ブラック部活⁈

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中国新聞朝刊でまた新しい日本語と出逢いました。

「ブラック部活」です。

生徒さんの方ではなく、先生の方の語彙のようです。

クラブ活動の時間が教員の長時間労働という結果をもたらしている、ということだそうです。

文科省は昨年12月、学校での働き方改革について緊急に対策を講じたそうです。

学校が担う業務の適正化や教員の勤務時間に関する意識改革など。部活動についても外部人材の積極的参画などを推進するそうです。

 

とても難しい問題だと思います。

どうすることがベストかはわかりませんが、とりあえず私の時はどうだったかなと思いを巡らせました。

 

私は中学生の時、合唱部に所属していました。

(今は仕事柄、合掌部所属ですが)

毎年のNHK全国学校音楽コンクールへの出場が、大目標で必死に練習していました。

顧問はクラス担任も持ちながら、毎日遅くまで指導をしてくれていました。

夏休みには合宿も計画して下さり、共に汗をかいて時間を過ごして下さいました。

 

あれから四十年、綾小路さんではないですが、それだけ経過した現在でも、あの時受けた愛情に対して、感謝の思いは消えてません。

 

先生と呼ばれる方の立場は、今も昔も変わらない。何が変わってしまったのでしょう。

先生の個人の持つ権利(あまり使いたくない言葉ですが、便宜上)がある事も当然だと思います。家庭もあり、仕事と家庭のバランスを取らなくてはならない事も事実です。

でもそれも、昔も一緒じゃないでしょうか?

 

ただ、もしかして少し違うのは、先生と生徒やその家族との関わり方、関わりの度合い、このあたりが少し違っているのかもしれません。

今、うちには中学生の子供がいますが、小学生の頃から、住所や電話番号が載ったクラス名簿は存在していません。自治体によって違うのかもしれませんが、この個人情報を共有することの責任、覚悟が、当時は当然のこととして求められていたのだと思います。

だから、先生、生徒、親、この三者がトライアングルになって授業もクラブ活動も、思いの中でも支えることが出来たのだと思います。

 

本件も全ての先生が同じ考え方であるとは思っていません。しかし、未成熟な青少年を社会性を持つ成人に育むために、学校やクラブ活動の役割は大きいと思います。その意味において、強引かもしれませんが、先生には「先生」であってもらいたいと思います。

 

いずれにせよ、難しい社会構造になっていますね。

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

 

 

「いたみ」

世の中を見まわしますと、本当、嘆かわしいことがたくさんあります。

どうしてこんなに悲しみを伴うことが、世を覆ってしまっているのか。

ひとつの原因に「いたみ」の薄れがあるのではないかと思います。

「いたみ」

最もわかりやすそうなのは、皮膚感覚などの肉体的苦痛を伴ういたみでしょうね。

叩かれると痛い。つねられると痛い。引っ張られると痛い。わかりやすいですね。

 

でも、叩かれたことのない人は、痛いがわからない。つねられたことのない人も痛いがわからない。ですよね。

このほかにも、自分が痛みを感じたことは、誰もが同じく痛い、ということくらいは分かると思うのです。

でも、昨今は学校ではイジメが常態化し、体育会系では恫喝が常態化している。単に一例にすぎませんが、こういったことがそこら辺にたくさん転がっています。

何故ですか?

痛い感覚は、心身共にみんながもっているでしょう。

でもそのことが、相手へのいたみとして共感できなくなっている。

いたみということに対して、何も思わなくなってきているように思います。

どこからズレが始まったんでしょう。

 

犯罪でもそうです。

勿論加害者に非がありますが、被害者にはいたみが、そして加害者の家族や友人にもいたみが生じます。

イジメをする人、犯罪を犯す人は自分の身近な人さえも愛せなくなってしまっているのでしょうか。

でもそう考えますと、やはり愛が不足しているのでしょうね。

もっともっと愛さねばなりません。

愛する事を惜しまずに。愛する稽古をさえ、して行きましょう。

愛が満ちる時、いたみに対する感覚は回復される筈です。

愛は人の道です。

この世を良くするため、愛をたくさん植えて行きましょう。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌