お坊さんが語る終活

後悔しない人生を、笑顔の毎日を本当の終活で。

堺念法寺創立60年

今日は朝から、堺念法寺の創立60年祭に出向させていただきました。

 

日本維新の会幹事長の馬場衆議院議員さんはじめ、たくさんの方がお参りにおいででした。

午前中は報恩法要、記念式典で私はご燈主様の名代として参列させていただきました。

 

好天の中、午後からは維摩経のシーンを模した寸劇、歌、踊りとそして私の講話を聴いていただき、とても楽しい一日を過ごさせていただきました。

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そんな中、私が通された部屋のトイレに心和ますしつらえがありました。

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そして洗面台にも、

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ちょっとしたことかも知れませんが、あると無いとでは大違い。

 

飾りもさることながら、しつらえてくださった方のおこころが浮かび、とても温かい気持ちになりました。

上手、下手はさておき、使ってくださる人の心に寄り添う思い、これが一番大切なことと思います。

 

目に見えること、耳に聞こえること、全てが魂の肥やしなんだなぁと、改めて感謝の時間をいただきました。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

 

秋の装いは終活へのいざない

11月になりました。

もう、お寺では大掃除やお正月の準備を始めなければならない時節です。

そんななか、ふと境内を歩きますと自然界からのたくさんのプレゼントが届いていました。

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日本は四季があり、五感でそれらを感じ、味わうことができます。

秋の深まりを感じる今日この頃、まずは目で、自然の力や美しさを感じることができます。

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開祖様のおじいさまが、仰られたうたですが、「春はただ 青一色と思えども

                              秋は色々花はさくなり」

これは人の成長を表すうたでありますが、誠に人の味とは、晩年になって輝きを増し、他への影響を大きくするものと思っております。

 

落葉する木々は我々の人生を描きます。

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春、新芽を出して若葉をたたえる。

これは言いかえれば「誕生」です。

 

夏、最大に葉を広げ、太陽の恵みをからだ一杯にうけ、種を残す力を蓄える。

いいかえれば「青年・壮年期」です。

 

秋、自分の体の一部であったはずの葉を落とし、種をも体から離してゆく。

いいかえれば「老齢期」です。

 

冬、なりを潜め、次なる春の芽吹きを待つ。

いいかえれば「身罷り・死」となります。

 

終活を考える主な世代は、「秋」の方々が多いです。

自然の植物は四季に逆らいません。

ですが人間は困ったもので、人生の四季に逆らおうとします。

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必ず訪れるその時のために、盛えた葉も、熟した実もこの身から離してゆくのが、自然の流れ。ですが人間は、時に自らが創り出したものであるかのごとき勘違いをして、葉や種を持ち続けようとします。

必ず離さねばなりません。

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紅葉の色は鮮やかな時にこそ、その価値を表します。最大の価値を発揮し終えると、必ずその葉は木から離れ、落葉し、土に還ります。

それでこそ、次の春に生まれ変わってくることができるのです。

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終活とは、自分を見つめ、今をより良く、自分らしく生きる活動です。

秋の深まりを感じながら、離してゆく人生の結び方をこころで感じ、大自然と同化する準備をしてもらいたいと思います。

 

ご覧下さり。ありがとうございました。合掌

沖縄戦没者慰霊法要

当初28日に糸満市摩文仁の平和祈念堂にて行われる予定の第16回 沖縄戦没者慰霊法要でしたが、台風22号の影響で当日は沖縄本島全域に暴風警報が出され、交通機関が停止したため、行事の開催は断念せざるを得ない形となりました。

しかし、本日29日、天候も回復して摩文仁の平和祈念堂にて、慰霊法要を勤めることができたのであります。

 

ツアー全体のスケジュールの調整は当然必要となりましたが、本旨の目的を達成させていただけたことは、何よりと思わせていただいております。

 

午前中の行程を済ませて、那覇空港に到着。伊丹へ向かうANA770便の定刻出発を待って、3日間の振り返りをしています。

 

72年前、一つしかない命を家族を守るために捧げた尊い方々に想いを致す時、今を生きる我々は何をどうなすべきか?いつもその問いかけが頭を巡ります。

まずは生かされて生きている今を、しっかり感謝して、報恩のため死ぬまでの時間を大切に過ごすことが何より重要だと思うのであります。

 

数々の学びを得た今回のツアーに感謝致します。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

未体験の台風

10月28日沖縄では台風22号の影響で、本島全域に暴風警報が発せられました。

 

早朝からJTB担当者と運行スケジュールの調整が始まりました。

 

まずはバスの運行可否でした。

警報により路線バスはもちろん、観光バスも規制がかかっておりました。

先ずは、12:00までなら運行可能とのことから、沖縄念法寺での慰霊法要開催を予定しました。

 

摩文仁の平和祈念堂の明日の使用可否が、判明しない状況であり、翌日の執行の如何にかかわらず、沖縄の御霊に供養を捧げることを、予定しました。

その計画中、次なるバス会社からの連絡。

 

「11:00までに運行を終えることが必要」とのこと。

急遽、お寺での開催を取りやめ、先ずは本日の行事は変更となりました。

 

先ずは参加者の方、及び地元スタッフの安全を優先することで、調整を図ることとなりました。

 

「捨てる神あらば、拾う神あり」

平和祈念堂館長様からの朗報。明日、午前中ならば行事開催可能とのこと。

一行は宿泊施設において、研修の時間をいただくこととなりました。

 

正午頃、研修会場から出てみると、穏やかな空模様。さっきまでの嵐は何処?

 

「目」の中であったようです。

午後1時頃には午前とは反対向きの強風。

大気の動きを目の当たりにしました。

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写真はホテル内の庭園をガラス越しに撮影したものです。

 

朝、地元スタッフの方に「沖縄の台風はいつもこのくらいひどいのですか?」と訊ねると、

「今日のは穏やかな方です。」との言葉に思わず絶句。

 

今回の団体参拝地域は北海道と関東。

関東はまだしも、北海道の方にとっては滅多に台風を感じることは無く、大きな印象となることと思います。

 

明日の警報解除を願い、最終日の午前中、慰霊法要を勤め、那覇空港へ向かう日程が進められるよう唯々祈る思いであります。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

沖縄での慰霊へ

大東亜戦争末期、沖縄では米軍上陸による本土決戦が行われ、国の将来を思いつつ数多の人々が亡くなられました。

 

糸満市摩文仁には、その方々を慰霊する慰霊塔が多数建立されており、平和祈念堂には彼等の御霊を慰めるため、優しいお姿の大観音像が祀られています。

 

念法眞教教団では毎年、サイパン、広島、長崎、そしてこの沖縄のそれぞれ現地での慰霊法要を勤めさせていただいております。

沖縄は今年で16回目を数えます。明後日28日午前10:00より法要を勤めます。

また、明日からは代表的な慰霊塔を巡拝します。

台風22号の影響が懸念されますが、本日より現地にて準備を進めて参ります。

 

大阪空港からANA767便那覇空港行きのフライトで、先発。那覇空港には16:20到着。

現地の天候は晴れ、気温は27度。

本日は宜野湾市の沖縄念法寺にて地元スタッフとの打ち合わせ。

 

明日、北海道及び関東からの団体を含む70名の慰霊ツアーがスタートします。

乞い願わくば現地殉難のご英霊に、年に一度の甘露を潤わせ給わんことを。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

山肌に白大蛇

先週、出張が続きブログ更新ができず、ご愛読の皆様にはご心配をおかけしました。

 

さて、国家の台所の人選も無事に自民党与党が圧勝し、憲法改正への一歩が歩み出せたこの週末、私は奈良県十津川村に参りました。

 

台風21号の接近に伴い、秋雨前線が刺激され大雨に見舞われる中、八大龍王姫松明神年次祭礼が猫又の滝前の社殿にて執り行われました。

 

この明神様は十津川村折立の猫又に滝を本地とされる神様で、教団草創期、この地の山林の樹木を材として本部道場の建立を促す霊告を開祖様に垂示された神様で、毎年この時期に祭礼を勤めさせていただいております。

 

十津川村の昔からの言い伝えで、この山には大蛇の主がおり、隣の山とこちらの山を往来して、この地を守ってくれる存在といわれます。

 

大雨の中も、神事斎行のおりは小雨となり、神々のそこにおわしますことを感じたのは、私だけではないと思います。

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そんな中、爆音をたてながら落ちくる滝の水と、その水が流れるさまは、まさに猫又の主、白き大蛇が山肌に体を這わせているかのように見えました。

大自然が織りなす情景は、太古の昔の様相を表します。

機械、科学など様々な文明が発達した社会ですが、私たちは謙虚に自然の中に生かされていることを感じながら、人生を送るべきであります。

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

悲しみが減らない!

福岡でショッキングがな事件が発生しました。

中学3年の兄が中学1年の弟を、キリで刺す。

幸い命に別状発生ない、とのことですが、

昨今あまりにも悲しみの度合いが大きすぎる事件が多く発生してはいないでしょうか?

 

もっともベーシックなこととして、

「何人にも危害を加えない。肉体的にも精神的にも」

 

これが、最低限、人が社会生活をする上でなければならない約束だと思います。

しかし、毎日毎日、これを逸脱する出来事が報道の材料となっています。

 

福井では、担任の先生の厳しい指導が起因して中学2年生の生徒さんが自殺。指導の問題の是非は言及を控えますが、悲しすぎます。

 

何に問題の原点があるのでしょうか?

先日は仕事をしない主人が奥さんと子供たちを刺殺して、家に火をつける。こんなこともありました。悲しすぎます。

 

よく「社会が、悪い」と言いますが、「社会」って誰が作っているのですか?

「社会」には、その方は介在していないのでしょうか?

 

私達はうっかりすると「〇〇がわるい」と自分対他者で対峙構造を作ります。しかし、そんな事何の役にも立ちません。

社会を構成しているのは紛れもなく自分であり、社会を良くして行くのは紛れも無く自分である、という自覚がなければことは変わらないと思います。

 

私の考えとしては、やはり家族の在り方、かかわり方であると考え、その基礎は文化によって支えられていると思います。

 

戦後72年、日本は高度な成長を遂げ、今や機械、医療などの面で、世界中の大国に引けを取らない素晴らしい国になりました。

しかし、その一方で先述の如き悲しみがどんどん増えています。

 

戦後、GHQから与えられたのが「日本国憲法」です。この憲法におりこまれた基盤に今の日本社会は存在しています。

憲法はその国の「こころ、おもい」を表すものでなくてはなりません。

「権利」「個人」「平和」これらのキーワードで72年作り上げられた結果の一部が、今起きている「悲しみ」だと思います。

 

もう、気がつかないといけない。

 

少しずつなどという、悠長なことは言えないところまで来ています。

近く、選挙もありますが、投票者は候補者に何をしてもらいたいかを考え、この国の人の悲しみを減らすことのできる人や政党を選ぶべきです。

とにかく、みんな言葉に出して言いましょう。

「この国の悲しみを減らすことを考えましょう」と。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。