お坊さんが語る終活

後悔しない人生を、笑顔の毎日を本当の終活で。

終活講座 くまの みらい交流館

昨日は筆の里、熊野町のくまのみらい交流館で第1講をさせていただきました。

 

当初の申込みでは26名の予定だったのですが、受講の方がお友達を連れて来て下さり、何と

37名になりました。座席の追加やテキストが行き渡らなかったりと、ご不自由をおかけすることもありましたが、皆さん熱心に受講して下さいました。

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昨日の会場の平均年齢は75歳。結構ハイエイジの方が多かった訳ですが、見た目、全く感じませんでした。やはり熊野の方は良い化粧筆を使っていらっしゃるからですかね。😅

 

終活の勉強をしだして、自分の中でやはり「死」ということをしっかり考えるようになってきています。

悲しいとか、怖いとかではなく、どうすることが人としての来たるべき時の迎え方なのか、ということです。

 

毎日。この毎日の継続が人生であり、その一つの終着点が「死」。

日限が定まってないからこそ、安穏と暮らすことができ、反面日限が定まってないからこそ、ボヤボヤしてられない。

さあ、皆さんどっちを選ばれますか?

 

毎日が今日も始まります。

今日は安佐南区の区民文化センターで第1講の開催です。また新たな「人と人とのかかわり」をいただきます。

皆さんも積極的に多くの人とのかかわりを求めてまいりましょう。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌 

無人レジ

今や生活の一部とまで言われる、コンビニ。

このコンビニに無人レジが2025年までに導入される報道が巷を賑わせています。

 

人手不足解消の手段として、方法の一つであることは間違いないと思います。

しかし抜本的な解決にはならないと思います。

 

人口減少という最大の課題に着手しなければ、根本的な解決にはならないということであります。

 

人は人によってのみ、うるおいを得ることができると思います。最近人工知能を完備したロボットや、自販機などでもとても親切に説明をしてくれるものがあります。でもあくまで機械は機械、道具の域を超えることはできません。

 

便利さがどんどん進んでいます。その結果煩わしいことは少なくなっています。

一般的には「それは良いこと」と評価されるでしょう。しかし人と人との関わりに、煩わしさが無くなるということは、人が動物化しているということのように思えてなりません。

 

人は万物の霊長と言われます。

なぜ万物の霊長といわれることを許されているのか、ちょっと立ち止まって見極めていきませんか?人が人であるうちに。

 

ご覧くださり、ありがとうございました。合掌

沖縄慰霊行脚

日本列島に台風並みの低気圧が、覆う中、沖縄も早朝から大荒れの天気でありました。

戦火に喘がれた方々のことを思えば、雨が少々降っていても、ではありますがそれにしても本当に大雨でした。

 

読谷村の忠魂碑で一行のバスを待つ中、ずっと雨が降っていました。

しかしバスが到着すると、いつの間にかその雨は上がり、私は午前中のみの参加でしたが、一切雨に当たらず、亡くなられた方々が供養を待っていたかのようでした。

比叡山の回峰行の阿闍梨様を先達に、65名が小さな慰霊地一つ一つをまわり、読経供養を捧げました。

中でもチビチリガマという、自然壕。そこでは米軍の投降になびかすに全員が自決をした場所にもまいりました。f:id:obousansk:20170418173024j:image

行脚中、心中に仏様を念じつつ一歩一歩、歩ませていただきました。

 

現在の私達は何と幸せなのでしょう。

衣食に不足なく、情報は有り余るほど手に入り、誰かに大きく生活を脅かされる心配はほぼ不要だと思います。

戦時下では、毎日が生きることにまさに生活をかけておられたと思います。勿論今を生きる私達も生きることに生活をかけていると言えましょう。しかしその価値が違うように思います。

 

本当の終活とは、後悔しない生涯のため、毎日を命がけで生きることと思います。

終活に取り組まれる方には、方法を講じる終活ではなく、今を掛け替えのない時として捉え、振り返って後悔しない人生をお通りいただきたいと思います。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

沖縄

今日は広島空港11:45発のANA1861便で那覇空港に向かいました。

那覇空港の滑走路の混雑により、離陸が遅れ、現地上空でも30分待機で、着陸は14:30になりました。

 

今回の目的は、先の大戦で戦火に倒れた数多のみたまへの慰霊に、天台宗の僧侶の方々が15年前から始めておられる慰霊行脚への参加であります。

明日は65名の方がたとともに、読谷村の忠魂碑から各慰霊地を行脚させていただきます。

 

今日は前夜行事として、沖縄念法寺で光永覚道大阿闍梨さんを導師にご回向があり、続いて、奉納舞踊が演じられました。f:id:obousansk:20170417212025j:image

沖縄には一般によく知られた慰霊地もたくさんありますが、実は名も知れない慰霊地が数多く存在しているそうです。

 

今年で16回を迎えるこの行事は、沖縄念法寺が初めから大きく関わりを持っているようで、毎年来られる諸大徳様がたと、念法寺の方は、とても親しい間柄でありました。

 

明日は帰りの飛行機の関係で前半しか歩けませんが、み仏様の大慈大悲の光明が、島内全域に行き渡り、諸霊の安らかならんことを念じつつ、歩かせていただきたく思います。

 

今ある私達の幸せの土台は、この国を護るため、命を捧げて下さった方々がいたからできたのです。感謝のこころで歩かせていただきます。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

交々

久しぶりにブログに向かうこころのゆとりが出来ました。

ゆとりが出来て頭に浮かぶことは、捕まってよかったのですが、千葉県で小学校三年生の女児が殺害、遺棄された事件の犯人が捕まったことです。ただ、地元の名士と評のある人物であったことです。

具体的な本人の性癖は、本人しか知らないでしょう、しかし少女の裸が描かれたコミック誌を愛読していたらしい。

犯人の年齢は46歳。

 

今から約30年ほど前、教団ではコンビニ等に陳列された、いわゆる「ポルノコミック」を問題視し、社会に対して警鐘を鳴らし、撲滅のため可能な限りの運動を展開した。

 

現在の日本国憲法はさまざまな権利や自由を保証している。

権利や自由がまったく不要だとは思わない。

しかし、モラルを逸脱した濫用はこうした犯罪の引きがねになっているという事実である。

 

命には交換がきかない。自らの欲望達成と命とを比較して、欲望達成が勝るような人間はもはや動物、畜生と言わざるを得ない。

犯人にも犯人を育てた人がある。

その人のことを思うと、これまたいたたまれない。きっと人並みの愛情を注いで育てたことであろうと想像する。しかし、育っていく中で様々な周囲の環境が二次的な成長を促す。

 

本当に何とかしないといけない。

 

こころの成長には正しい宗教が必要です。

自然の法に適う生き方をしよう、しなければならないという感性を培うため、どうか正しい宗教を求めてほしいと思います。

 

人による悲しい出来事が少しでも少なくなりますようにか。祈。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

肩車型

今朝の新聞の一面に国立社会保障 人口問題研究所からの2065年の人口推計が掲載され、約50年後には8808万人まで、日本人は減るだろうとする試算が発表されました。

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2053年には1億人を切るとの見解であります。

 

社会保障の形は騎馬戦型から肩車型になるようです。いわゆる「一人が一人を」という状況です。

 

2065年の人口分布は

子供世代        0〜14歳 10.2%

生産年齢人口 15〜64歳 51.4%

高齢者世代     65以上     38.4%となっています。

人口の半数近くが高齢者となり、余程なテコ入れをしない限り、将来この国「日本」は間違いなく、無くなってしまいます。

 

終活カウンセラーとして、現代に生きる方たちへの終活のお手伝いは、少しだけ出来ますが、私達のひ孫くらいの頃は、個人の終活どころではなくなっていそうです。

 

国として活路を求めて行かなければならないと思います。

 

先ずは国が無くなるとどうなるのか?から教育機関で正しく教えないといけないでしょうね。

 

国が無くなるとどうなるか?

このブログの読者に方も、静かに考えてみてほしいと思います。

 

「公」という字は、大宅〔おおやけ〕と読み、

大きな家、大きな家族を表すと以前聞いたことがあります。

日本人という我が家系を永く永く継承する智恵を絞らなくてはならないのはいつですか?

 

          「今でしょ!

 

本当に真剣に考えなければ、皆さんをご先祖様と呼んでくださる人が、消えてしまうかもしれませんよ。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌

 

 

入学式

今日は長女の入学式で、中学校へ行ってまいりました。

式では真新しい制服に身を包んだ、新一年生が、ブラスバンド部の演奏する「威風堂々」の中、照れくさそうにはにかみながら式場に入場しました。

 

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娘のクラスには、保育園時代からのお友達がたくさんいて、とても嬉しそうでした。

娘のクラスは、私の個人的主観ですが、父兄の方も割と多く来ておいでで、そこはとてもいい環境だと思いました。

 

担任の先生は男性のややベテランな感じ、ここもまたありがたいことでありました。

 

日程がすべて終わったあと、私と家内は、すぐ向かいにある、小学校へ行きました。

この間卒業したばかりの小学校に何の用事か?

 

実は昨年度まで教頭であった先生が、その学校の校長に着任され、小学校も入学式でしたので、おいでになれば一言御祝いをと、寄らせて頂きました。

新一年生との記念撮影をしておられ、お会いすることができたのであります。

 

その先生は本当にとても良い先生で、学校長になったということで、さらに子供たちは良い環境においていただけると思います。

 

長男長女で7年間お世話になりました。

こういう場面でのかかわりも、人と人とのかかわりです。

 

中学校は4年間のお付き合いです。良きお出会いをいただきたいと、思います。

 

ご覧下さり、ありがとうございました。合掌